怪我をするとします。
皮膚が破れなければ見た目の割に痛む傷、
皮膚が破れれば見た目の割に痛まない傷
そうなることが多いと思います。
こんなに痛いのに何で誰も心配してくれないのか。
別に大して痛くないのに心配されて恐縮。
別に周りの反応の為に怪我をしたわけではないですが、
怪我を見られた場合、逆に怪我を見た場合
何かしらの反応はあると考える、それが傷なんじゃないかなと思います。
心の傷もそれに近いものを感じます。
言わないと気付いてもらえないことがよくある。
けれど、心の傷って人に打ち明けるときは、言い方やり方によっては
人に見せるための自傷というか、俗に言うファッション傷っぽく見えてしまうことがあると思うんです。
漫画や小説や映画の世界では主人公たちの考えていることやその辛さがある程度ダイレクトに伝わりますが、現実で生身の人と向き合っているときは、そううまいこと行きません。
むしろ、自分が耐えたことだから貴方も耐えられる筈でしょうという気持ちを招いてしまうかもしれない。
試練の強さも、試練がどれだけ心に響くか、心がどれだけ耐えられるかということも人それぞれなのに。
だから、体の不良として表現すれば、まだ心の不良よりも
「コントロールしづらいこと」「共感しやすいこと」「わかりやすいこと」として受け取ってもらえるかも
という甘えから、「仮病」などの行動を起こしたくなってしまいます・・・。
結局「大袈裟な人」と思われたくなくて、あまりできないのですが。
どうにもならない形で、皮膚という、「
大丈夫に見せるもの」が取り払われてくれないかなと
どこかで期待してしまっています。