「普通」という概念は、否定されたり肯定されたり忙しいと思うのですが。
結局、多くの人、つまり「普通」の人は、「普通」を希求してるんじゃないかなと思うのです。
いわゆるキョロ充といわれる、普通にとどまろうとがんばっている人しかり、
変人とよばれて、普通にあこがれている人しかり、
人気なもの、王道なものを大事にする人しかり、
アンチ王道という、これはこれで覇道といえるものを大事にする人しかり。
自分の基盤を構築するためだったり、自分の話を聞いてもらうためだったり、
相手の言葉を理解するため共通言語を手にするためだったり、
いろいろなものを知った上で反論しようと思っている人だったり、
社会の中で暮らしやすくしたい人だったり。
理由として、
「生きている限り、自分以外と接して社会に迎合するしかない」
(無人島だろうと自然と共存したりする必要はあります)
「より多くの人が幸福になるためには平均を幸福の基準にするのが一番である」
ことがあると思います。
けれど、もうひとつ気になる考えがあります。
普通なんて存在しない、平均値の人なんていない→
+ないものを人は追い求める→
最上のものと同じく、普通こそが最上と思われているものなのかな・・と思ったり。
「平均こそ人が追い求めるもの」という方向で考えていくと、
・あまりに遠いものを人は追い求めようがない
・それと同時に「存在するもの」に理想を求めては駄目だから
(理想が崩れるときに云々以前に、そこで成長が止まってしまう)、
「存在しない」でも「近い」ものである「普通」を、より人は追い求めるのではないでしょうか。
「普通でいい」と言っている人こそ、ある意味理想主義に近い、という矛盾しているようにも見える結論ですが、「普通」という偶像は「最強」とか「背が高い」と違って、
規定しきるのは難しいからこそ崇拝の対象になりやすいのかも、と思います。