最近ニュースでわいわい言っている某「解釈の仕方」を変えると言う話。
日本の9条解釈変更派も解説を調べてみると、別に戦争大好きな人が主張しているわけではなく、この人たちも大変なんだなと思えてきました。
まあ、賛同しきれはしないですが。
要するにこんな感じ?と個人的に思う例を一つ。▼
(スネ夫とジャイアンの印象を悪くしてしまいそうなので白文字)
のび太(スネ夫にいいようにやりこめられそう)
のび太(最近ジャイアンの機嫌いいし、協力してもらおうかな)
ジャイアン「いいぜ。代わりにひみつどうぐ貸せよ」
のび太「」
ドラえもん「のび太くん、どうしたの。いきなりひみつ道具貸してって…何に使うの」
のび太「えーと、スネ夫にちょっとやりこめられそうでジャイアンが友よって言ってきて」
ドラえもん(とりあえずジャイアンに今秘密道具貸そうとしてることともしジャイアンに秘密道具貸したらのび太くんがボコられるかもしれないこととジャイアンがヒャッハー状態になるってことは分かった)「駄目だよのび太くん」
のび太「いやいやよく考えてみてよドラえもん。ちょっとジャイアンに力を貸すだけでいいんだよ?それで僕の物はスネ夫から返ってくるんだよ」
ドラえもん「………」
力を貸すってことは、「被害者」ではなくなるということ。
丸腰なら殴ったほうが大抵悪いってことになりますが、
殴られるのが嫌だからって武装したら泥沼になるんじゃないか、少なくともこの判断は「正しい」とは言えないよなあ、と思います。
そこまでして、アイデンティティのようになっているものを破ってまでそれは欲しいものなのか?襖に穴を開けてまで見たいものは何?
「○のつくものはいれ」と唱えれば、「し」なら「しずかちゃん」はバリアの中に入れるという秘密道具がありましたが、「じゃむ」をバリアの中に入れたいがために「じゃのつくものはいれ」と言えば、「ジャイアン」も入ってきます。
ジャイアンがいつも怖い存在であるとは言いませんが、
今の繋がり方を崩すことはとてもリスクが高いのは明らかでしょう。
国民の幸せの為にやっているのだと彼らは言います。
けれど、国民の中には「あれを手に入れなくてもいいから、とにかく戦争はしたくない」と思う人だって居るのではないでしょうか。
幸せの形は一つでなく、目的もまた一つでない。
目の前で家が火事になっているとして。
火を消す為には水が有効だから、「水派」は灯油が有効と主張する「灯油派」を押しのけて水をかける。
…家をとっておくためにはいいでしょう。誰かを助ける為ならいいかもしれません。
けれど家の中にあるものが、漏れ出たら大変なことになる細菌兵器だったら?
「水派」は研究成果を残したくて、「灯油派」は研究成果が滅んでもいいからそれから周りを守りたいとしたら?
どちらが正解なのでしょうか。